





制作について
私の制作はそもそもどこから始まったのか定かではない。 2004年頃に記した文章 " 例えば巨大な建築物、それが目新しければ目新しいほど、壮大であればあるほど、儚さは増し、その儚さにうっとりしてしまう。 崩れ去る光景が頭を過り、 私はその儚さを、瞬間を見ながら制作しているのかも。”
物事、自己の崩落について自覚し始めたのはこの頃から。 以前から崩落は始まっていたに違いないのだけれど。 ある1つの出来事が私の意識の中にはっきりと崩落を自覚させた。 新宿の超高層タワーの真下に立ち、上を眺めた瞬間、それは鈍く歪み、崩れ去る光景に私の胸は高鳴った。それは同時にカタカタと音をたてて崩落する自己でもあった。
人は何かを作り生み出そうとする。そこには絶えず崩落が待っているという事に気付かない、もしくは気付かないふりをして。崩落を見るための建物であるかのように。 作らざるをえない状況と崩落の間にはある種の情念が渦巻いている。
私の制作の側面には常にこの情念が付きまとい、息を殺しながら呼吸をする。 こうした危機的状況からしか、私は制作にかかわる事ができない。
ただ、美術の役割の一端はある種の崩落をみせることであり、ある種の情念により歪んだ空間を見る事である。
2006年11月27日
山下 香里